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水天宮の丘

水天宮の丘3
明治43年(1910年)の地図


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水天宮下の民家。人の住んでいる家、いない家。
「道」は草付きの土、時々石段。
水天宮の丘1
現在の水天宮の丘は、山田町・東雲町・相生町の3町で構成されている。

初期の小樽
小樽港は古くから鮭や鰊の豊漁地として知られてきたが、明治初期から、道内の石炭を道外に運ぶ玄関口として石炭の需要とともに大きく発展した。また、疲弊した内地の農村から「新天地・移住先」として、北海道開拓へ多くの移住民が小樽から北海道へ上陸した。

水天宮の丘の歴史
水天宮の丘には、まず海運業で成功した者が、入港する船の見える水天宮の海側(相生町・東雲町)に居住した。
そのころ花園や山田町など、山側はまだ開発途中であった。明治15年から同19年に、入船本通りから寿司屋通りにかけて、山田喜兵衛が自費で道を開削した(このためこのあたりは山田町と呼ばれている)。
海沿いの堺町には問屋街、山田町には労働者をはじめ職人などが定住していった。大正に入ると、山田町には料亭が建ち、歓楽街が形成された。
以後、街の中心が稲穂・花園・富岡・入船にシフトしていく中で、水天宮の丘は今も小樽初期の様相を維持している。


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相生町。昔のままで今も使われている「道」

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水天宮へ通じる最も細い通りの入口。
写真上部に写っているお婆さんにすれ違いざま挨拶したら、止まって顔を見られ、「誰だ。知らんもんだ。」と返された。ここは誰でも好きなように通って良い「道」ではなさそうだ。水天宮の袂の住人の「生活の場」に誤って踏み込んでしまった感じがした。


16-10-23p


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振り返ると民家の軒先の狛犬と小樽の街並みが
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