ノスタルジック

小樽に越してきました。


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街歩きが面白くて深夜や早朝にブラブラウロウロ
南小樽駅付近からの日の出

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お気に入りの水天宮から小樽港を見下ろす



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オタル。人生において住むことになるとは


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堺町通りの背後の高台にある水天宮。かつて街の中心であった。
夜は肝試し的ですが朝は気持ちよい。


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水天宮には現在3つの道からアプローチできる。これはぶらタモリでタモリも通った「外人坂」。
階段の麓に大正2年から終戦まで37年の間カール・コッフさんというドイツ人貿易商とその家族が住んでいたことに由来する。
コッフ夫妻は第二次大戦後、小樽での事業再興を断念して帰国することになった。コッフ一家は小樽市民から愛されていたので、帰国の際には盛大なお別れ会が開かれたそうな。
コッフさんのお屋敷と向かい合わせで建っていた「酒井さん(何をしていたどんな人なのかは今となっては何も分からないそう)」のお屋敷も既に取り壊されて残っておらず、現在は酒井家の蔵のみが残っている。蔵は朽ち、天井も床もなく藪に覆われお化け屋敷状態となっており、この一帯は今は陰鬱な印象となっている(初めて訪れたのが深夜12時だったので半端なく怖かった)。
コッフ一家の小さな子供達は、小樽で過ごした時代が人生で最も幸せだったと言っていたそう。その頃を思うと、この通りを暖かく華やかなものに感じることができる。

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山の反対側。
それまで中心だった手狭な海岸方向ではなく、内陸方向へ山を削って街が開拓されたため、大正時代には、水天宮へ通じる道は外人坂と反対の西側がメインとなった。この道はまっすぐ市役所へと伸びている。


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朝日を受ける石蔵。急激に街が発達した小樽では、急ピッチで蔵を立てなければならなかった為、骨組みは木造、その周りに石を積むという簡単・スピーディな方法で作られている木造石蔵だそう(全部石だと天井を組むのに特に時間がかかる)。

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早朝の堺町通り。埋め立てられる前は、この通りが海岸線だった(ブラタモリ)
曲がっている道にはたいてい意味があって面白い。

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さかい屋。惜しくも10月で閉店したとか、誰かが継ぐとか?この店が好きで学生時代に何度か行ったのを思い出す。

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誰もいない静かなメルヘン交差点。
未だに細々と続けているポケ○ン深夜にこんな所でやってたら職質されかけた。


小樽歩きはつづく。
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